震災2か月をすぎて

震災2か月を過ぎて、
いろいろお友達と話したりして、
なんだか、いろいろなことを知りました。

●最終的には、身近な人たちと話し合い、無事を確認するしかない
みんな不安だし、いろいろ忙しくても、
身近な人・大切な人と基本的にはきちんと会話を交わすこと
心の安定やほんとうに「いまを生きる」には、
これが不可欠だと思いました。

震災のあと、多くのお友達とお話しました。
お久しぶりな人にも、会いに行って、
みんな家族以外の人と話せてほっとしている感じが伝わってきました。

ときには、面白そうなイベントを抜けてまで、
友人に会いに行きましたが、
本当に、多くの新しい人と会うより、
元からの友人と話すほうが、
今の私にはしっくりきました。

被災地に行くことだけが「支援」ではないと
私は今、強く思っています。
身近な人が不安な思いをしているときに
そばにいる。思いを受け止める。
それだけで、みんな「災害支援」をしていると
思います。

●人はみんな違う
私たちは情報に囲まれて生きているけれども、
同じ情報にふれても、何をどう思うかはみんな違う。

それが、本当に今回身に沁みました。

その違うさまをもっと認めて、お互いを(話し合う場で)応援できたらいいな、
と、思いました(今は、トピックによってはまったくできないこともありますが)。

Twitterでは「クラスタ」という
なんとなくのまとまりで人をとらえたりもしていましたが、
本当に、クラスタ関係なく、
人はひとりひとりだなぁ と
思いました。

みんながまったく違う人間だからこそ、
お互いにもっと助け合える。
それが、本当の人間の素晴らしさだと、
今さらかみしめています。

●俺もひとりだ
と、同時に、私もひとりだなあ と、改めて思いました。
やはり、クラスタに属していないし、
やっぱり私には土偶だなあ とも 思いました

●人は自然の中で生きている
今回の報道の動きを見ても、思いました。
人は「社会」というものを今まで作り上げてきて、
その「社会」のうえに生きていると、
なんとなく信じ込んでいましたが、
それはやはり幻想で、

人は、やはり「自然」の中に生きているのですね。
それが都市であろうとなんだろうと、
自然の中で生きている。
アスファルトの割れ目からたくましく生える草。
どんなに人の作ったもので固めても、
家にアリは入るし、
アスファルトから草は生え、
やがてはアスファルトを割って育っていく。

●情報について・メディアについて
あらゆるメディアが乱立するのは、
今まではとても喜ばしいことだとは思っていました。

今回の震災に関しては、
マスコミさえもその価値判断がゆらいでいるような気がします。

私の考えですが、
やはり、今この時代になってゆらいできている
「メディアとしての道徳」は、とてもここに来て生きてきたなぁ
と、思います。

それは「情報をニュートラルに見る姿勢」
「情報を伝える時に感情は置いておいて書く姿勢」
そのものだと思います。

その一方、いわゆる「オルタナティブメディア」が発信の機会が増え、
みなそれを差別なく見れることになったのはよいことだと思いますが、
やはり、オルタナティブメディアは 全体的に見て、ダメだなあ と思いました。

いろいろ考えて、自分のこころを平和にたもっていくうえで、
やはり現状は「公式発表(政府・東電・原子力保安院等々)」を第一に見て、
それからホームページ等で公開されているデータ等を見て、
それからは冷静に現状を見て、発表内容からプラスマイナスしていって
ものごとを考えたほうがよいなぁ と思っています。


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