誰もが平和で豊かな暮らしを目指した一歩をとるために、最も核心的なベクトルとは何か
↑これは、私が「ファシリテーション」という言葉に興味を持つきっかけになったZINEです。2007年のことです
「合意形成、その促進そして解放」ロックダブコレクティブプロジェクト著 翻訳:poetry in the kithen翻訳部
アンチコピーライト:コピーして配布してください とのことなので、そのうちPDFで配布します。
やめろといわれたらやめる。
このZINEを読んで、最初は「へへー! ほほー!」と感心していました。
合意形成してみよう会みたいなのもちょっと気になってた。
しかし、自分なりにそのファシリテーションというもの視点でものを見たり、
ファシリテーション的なものについて勉強したりしているうちに、
「合意形成」てハンパなものじゃない、ということがわかった。
そして、上記のZINEには合意形成の方法がものすごく簡単そうに書いてあるけれども、
書いてあることを実行しようとすると、かなり難しい、ということもわかってきた。
そもそも、単に「方法論」であり、それを人類が使いこなせるか
(これを使えばすなわち誰でも合意形成に至ることができるのか)
ということは、全然違うことだとも思いました。それを踏まえて使えば、
とてもすばらしいZINEだと思いました。
そしたら、昨今の「ウォール街占拠(Occupy Wall Street)」で、
このZINEにもあるような手法で、人々がコミュニティを作り、
決めなくてはならないことを決めていることを知った。
実際使われるところを見た感想ですが、
「できてないこと(合意形成)をさもできたように言い、
そして、昔からのことを繰り返してやってるなあ」
という感想でした。
それと、この動画について思ったことを、いくつかあげてみます。
●ほんとうに「Occupy Wall Street」で行われていることは「合意形成」なのか
南インドの友人を持つ彼女が「決議される直前でブロックした」と言っていましたが、
そんな勇気を持つ人は彼女くらい熱心に参加している人くらいでしょう。

とかく集団は、居る人たちの性質やモチベーションが、均質であるものという気もしてしまいますが、
実質は、かなり均質ではないように思います。
だいたい、想像するに、例外なくこういう人たちがいらっしゃると思っています。
そもそもバラバラのモチベーションで参加している人たちの結論が、
同じになる確率は、思ったより非常に低いものだと思います。
そんな状況から考えると、本当に合意形成したの? と思うのです。
本当にそこに素晴らしい未来はあるのか?
ただ、素晴らしい未来の仮面をかぶった
今までとなんらかわりない「人間」がそこにあるだけではないのでしょうか?
●本当にフラットな組織が長期間にわたって作れたら人類の進歩だなあ
今までの歴史において、何度も
「みんなの意見を反映する新しい政治を」という試みがされてきましたが、
結局はどっちらけーになって、実力者がなんとなく出てきて、
そしてまた革命が起きるという、繰り返しだったような気がします。
そういう意味では、このoccupyな動きも、今までと同じような感じが否めません。
「そこに集まっている人ひとりひとりの意見をきちんと出していく」
という方法は、今までの歴史でやりつくされてきたように思います。
まだ、私が聞いたことないもの 知りたいことは
「たくさん出た意見を、どのように集約して、
すべての人が納得いくような結論になるか」です。
ある意味、聞いたことがあるような気がするものとしては、
昔KJ法マスターに話を聞いた時に聞いた、川喜田先生の言葉?
「己をむなしゅうして(答えを見つけろ)」
です
己から一切の偏見をなくして「なんにもない」状態で物を見ろ
みたいなことだったような気がします。
その「一切の偏見をなくす」ことの、なんと難しいことか。
私はこの動画を見て、逆にちょっとがっくりきました。
「人間は、マジで本当に なんにも進歩してない!!!!!!」
本当に合意形成したのなら、どうやってしたのか、
ハンドサインなんてツールの紹介ではなく、
もっと語られるべきことはたくさんあると思っています。
それは、きっとあるとしたら「心のありよう」とか、
「ものの見方」とか、そういうものなんだろうな、
と想像します。
●ツールはあくまで「ツール」でしかない
ハンドサイン、人間マイクロフォンなどは、あくまでツールでしかないはずです。
私たちが合意形成するために
適切なスタンスを位置づけるための道具にすぎないということを、
自覚するべきだと思います。
そのほかのことでもそうです。
ともあれ、人は「新しい生き方」をツールや方法論で語りがちですが、
本当は「ツール」や「方法論」は、もっと「心のありよう」や「生きる姿勢」のようなものを
編集したものにすぎず、もっと「心のありよう」や「生きる姿勢」のようなものを、
じっと見つめていくべきではないか という感じがしています。
●人間マイクロフォンという発想は面白い
とはいえ、動画を見ていくうちに知った、
「広場での拡声器使用不可」という決まりに対して、
「人間マイクロフォン」(発言者の言動を、他の人に伝えられるよう、グループごとに復唱していき、遠距離にも聞こえるようにするもの)
というツールは面白いと思いました。
決まりにたいして、抵抗せずにさらに効果をあげていく方法を考えて実行する。
その一方で、確かに一人の人の言動に
熱狂的になっていく感じを増幅しているような感覚もありました。
●それではどうするか。
人や組織に反対することが、本当に効果のあることとは私には思えません。
(え?この文章がそもそも人や組織に反対してるって? すみません。でも、いいたいことがあるのです。)
私は以下のような考え方が好きです。
世界のすべてのものは、私という一人の人間の中にすべてそろっています。
世の中のものが、しょせん私という一人の人間からしか見ることができないのであれば、
そこまで極端に考えたほうが効率的な気がします。
何かに反対するということは、私の中の何かに反対することであり、
何かに怒るということは、私の中の何かに怒っていることだと思っています。
「もうこんなシステム嫌だ!」というのは、私の中にあるシステムが嫌なはずです。
だとしたら、他に対してNOを言う前に、自分が自分の何に対して怒り、いらだち、異議を唱えているのか、
見つめるほうが先決なはずだと、私は今思っています。
●俺たちは、対話の前に、まずすべきことがあるはずだ。
私たちは、自分以外の誰かとはなしたり、誰かに対して文句を言ったり、
ウォールストリートに座る前に、するべきことがあると思います。
まずは、自分の中のものを整えること。
自分がのびのびとすること。みつめること。自律した存在であること。
対話やファシリテーションや合意形成は、
その後に取り組むことだと、私は考えています。
●いつまでも「戦うべきもの」が自分の外に存在しているようでは、進歩はない
人を変えよう、ということは、とても難しいことです。
自分が楽しく生きること。
「自分はどうするか」を考えること。
それが、社会を変えたいのなら、一番の近道なのではないでしょうか。
もう、政治とか国とか企業とか、「わけのわからないもの」と戦っている場合ではないです。
というか、そういうことは、もう先人の方がやりつくしている。
私はもっと別のことを考えたいと思っています。
私は、人の集団について考えるのが好きです。
人の集団がある条件下でふるまう決まった行動パターンを観察するのが好きです。
そして、「合意形成」という言葉を知ってから、
どうすれば集団が誰かをいじめたり排斥することなく、
フラットでおだやかに集まることができるのかをなんとなく考えていました。
私の今のところの答えは
「自律した存在が集まった集団には、平和が訪れる」
と思っています。
もうちょっと、この考えを持ったまま、生きていきたいと思っています。
この投稿について
PEROTA_YA 内の投稿 “誰もが平和で豊かな暮らしを目指した一歩をとるために、最も核心的なベクトルとは何か” を表示中です。
- 投稿日:
- 2011/12/18 / 22:13
- カテゴリー:
- 日々
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