すみません。最近完全にTwitterに移行しています。

ので、そこに書いた書き込みから。

人と話した。「農」があったために人口が増え、戦争が多くなり、現在の資本主義社会に至る橋渡しになった。そして、自然をコントロールしてもいい、という思いが人に生まれた、と。すっごい納得できる。

農家を手伝っている間に疑問がわいた。トマトはそもそも地を這う植物だ。それを無理やり支柱を使って立たせることに人間の傲慢さを感じた。また、トマトは自分の具合が悪くなると茎にボツボツが出る。

それはいわゆる湿疹系のものではなく、地面に根付くための根の元なのだとか。具合が悪くなると茎が地に根を張りたくなる。それは、やはり地を這うのを自然としているのだトマトは。

人間はめちゃくちゃ野菜や果物を品種改良し、おいしくしてきた。だから自然には農作物の品種は「おいしすぎる」。だから農薬がいらない果物や野菜は、なかなかなくならないと思う。

こんなことをしていて、農耕より狩猟文化のほうに関心が行くのは、とても納得できる。前行った山形のまたぎは、最初農を勉強していたが、狩猟文化にきちんと移行して生活している。それは、本当に自然な生き方のように思う。

ただ、それをみんながやっては人口はカバーできない。半狩猟、という考え方もある。それが、エコビレッジ国際会議でおいで頂いたアーティスト、生意気のデビッドの考えだ。「食べられる森を作る」。森に生えているものをすべて生活に使えるものにしてはどうか、という考え。

これらは多分んすなわち、縄文時代に戻れ、というものでもない。縄文の時代を参考にしつつ、新しい生活様式を「クリエイト」することが必要だ。それは今の世代に生まれた私たちひとりひとりの使命と感じる。

そして、何より今の時代にはITの知恵がある。とりあえずヒントと今までの試行錯誤(=歴史)はある。後はどう心地よく組み合わせ、お互いを融解させ、新しいものを誕生させるかだ

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