誰かそばに

先日、横浜は寿町で活動しているNPO、さなぎ達の見学に行ってきました。

地道で、しっかり効果をあげていて、人のためになっている活動。
そして、その中には私が夢見ていたインフォショップもトランジションタウンもありました。

そのときに頂いた「さなぎ達通信」の一面にあった、さなぎ達理事長さんが書かれた詩がありました。ご紹介したいと思います。

誰かそばに

さなぎ達理事長 山中修

できることなら
看取られる孤独な男が、
苦痛がない方がいい。
高齢であるほどいい。
その時、誰かそばにいてくれたほうがいい。
できることなら、かけつけた家族がいればいい。
でなくても、女性がいればなおさらいい。
自分の昔ばなしを、自慢そうに饒舌に語れるほうがいい。
言い残したこと、伝え残したことを語れる女がいい。
「かわいそうだから」という理由だけで、寄り添われないほうがいい。
「気になるから、かかわってしまったから」という理由で看取られるのだったらいい。
「私の仕事だから」で来てくれてもいい。
「かわいそうだから」という理由で、人に寄り添われないほうがいい。
できることなら
逝く前に
タイ焼がたべたい。
みたらし団子もいい。
小さい頃、母と食べた缶パイナップルもいい。
母の野菜の煮物もいい。
懐かしい食べもの、最期に口にしてみたい。
できることなら

寿町は、女性の軍団が歩いているだけで「どこからいらっしゃった?」と聞かれるような場所ですが なんというかふわふわとしたピンクな感じ、夢のような、なんだか不思議なところでした。

そして、途中で話を聞いているうちに、この詩を目にしたりしているうちに、自分と何ら変わりがないことに、改めて気づきました。失恋したり、悲しいことがあったりすれば、世の中が真っ暗になり、自分しか世の中に生きていないような日々が続きます。家のない人たちは、それがずうっと続いていて、もう立ち直ることさえ疲れてしまった方々なのだと改めて「ホームレス=ホープレス」の意味がわかった気がしています。

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