なんかね、でも、そう思う

なんでだろう。
原発のことになると、なんだかイライラする。

捨て猫を拾って飼いたいのに、家では飼えないっていう感じ。
ついつい、ほおっておきたいのに、ちょっかいを出してしまう。

何年か前、原発推進派(原発を作っている人?)と、反対派の人が、
話し合うイベントがあって、みなじっとその話を聞いていたのに、
質問タイムの時に観客がものすごい恐ろしい声で言った
「お前、そんなこと言って家族がどうなってるか分かってるだろうな。
住所なんかすぐ調べて火つけるぞ」
その時はそこの司会の人がすぐおさめてくれたけど、
「ケ、ケイサツッ!」と裏声で呼びたくなるほど怖かった。

反対派には、あんなに意味もなく理論でも、志でもなく
「力」で脅して、女性(推進派の人は女性だった)
を怖がらせようとする手段を取る人が居るんだ、
ということが、なんかひっかかった。

環境問題関係の仕事を希望していたのに、
はじまりがコレだったのが、そもそも問題だったんだ。

それから数年後、環境問題に関わる仕事に無事ついて、
六ヶ所村の核再処理施設の運行反対の署名を、いきなり求められた。
「常識でしょ~」みたいな感じで求められて
「ちょっと待って、これは自分できちんと考えたことないのに、
署名はできないよ」
と言ったら「え~」みたいな反応で、
衝撃を受けた。
人って、そんなに思考停止してていいの?
そして「調べたいなら原子力資料情報室とかに聞くといいよ」
と教えてくれた。
でも、原子力資料情報室は、反原発派の溜まり場みたいなものだった。

そもそも、みんなが見ている映画(六ヶ所村ラプソディーとか)だけを見て、
みんな同じような感想を持って、主張したりして、
それって恥ずかしくないのかな…。
それって、マインドコントロール自らされていることにならないのかな…。

と思ってフラフラしていたら、
その六ヶ所村ラプソディー界隈の人々と気が合って、
電力館に行ったりした
電力館で、並べられている情報を見ながら、
どうしても「敵」だと思っているなぁ、私は、と思った。
でも、本当に東京電力とか、敵なんだろうか。

自然エネルギーも一通り知って、
やはり石油や原子力エネルギーのような密度の高いエネルギーの代わりには
ならないことも知った。

去年の冬、六ヶ所村に行った。
ご縁があって、青森在住の方に、恐れ多くも案内して頂いた。
その方がおっしゃるには
「反対派の支援は都市から映画を見た人などが主にやっていて、地元の人は迷惑している」
「この問題は現代社会の問題。都市に富が集まる、ピラミッド状の世の中の構造が変わら無い限り、この問題は何度でも繰り返す」
「六ヶ所が無くなったって、医療用など、原子力は量に関わらず人間は扱い続けなければいけないから、原発がなくなったって、どこかが貧乏クジをひかなくてはいけない」
ひとことひとことが、身に沁みた。

花とハーブの里には行かず、原燃PRセンターに行った。
行く途中、虹がPRセンターにかかった。

家に帰ってから、ずーっと自分がどうしたらよいのか考えた。

原子力についての勉強も少しした。
よくわからなかった。とくに単位。

Twitterでは、毎日毎日、推進派と反対派の論争というか、
口ケンカが繰り広げられている。
こういう論争に、たくさんの人が絡むと、戦争って起きちゃうんだろうなぁ、と思う。
みなさん普段節度とユーモアと品性を持ってるのに、
なんで原発のことになるとひどい言葉をかけあっちゃうのかと、
ちょっとびっくりしてしまう
(でも、知らない間に自分もやったことがある多分…)

推進派の方々のTweetをよく見ている。

反対派のせいで、迷惑している地元の人を見ているのが耐えられなくて、
毎日毎日戦っている方
環境問題とかやってる人々がそもそも嫌いな方
「他にもっといいエネルギーがあれば、それが一番いいんですけどね。やっぱり完全に安全ではないですから」と書いてくださった方
それぞれに、それぞれの思いはあった。

もちろん、反対派のほうも、それぞれに、それぞれの思いはあるだろう。

Twitterの論争を見ているとこう思う。
例えば同じりんごを同時に上から見ているのと横から見ているようだと。
全然違う方向を見ているのに「へたがある」「いや、ないんだよバカヤロウ」と言っている。
「真っ赤だよ」「いや、真ん中がちょっと白いだろJK」

同じりんごは見ているよ、と言いたい。
ただ、なんというか両方にデマ情報はある気がする。
「最初に主張があると、どうしてもその主張を裏付けるデータをとりたがる。まずは主張なしでデータをとって、そこから主張を組めばいいのに」
前にそう夫に言われた。

先日原発推進派との対話イベントがあった。

でも、それだけじゃなくて、

同じりんごは見ている。
私だってできていないけど、
少しでも、同じものを見ている、と自覚する時間を増やしたい。
それから、もっと自分のしている事をちょっと工夫して変えてみる、
そういう人が増えればいいと思う。

私は、Twitterの推進派の方々の書き込みを読んで、
同調できるところ、反対派の人に知って欲しい情報は、
なるべくRTするようにしている。

いつか反対派の人と推進派の人が会うことになったら、
同席して、両方の通訳になれればいいなと思う。

あと中立的なものの考え方をしている人の発言も読むようにしている

そうやって、ひとつひとつ地道なくことこそが、
大きな力になると、私は思ってる。

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なんかね、でも、そう思う」への2件のフィードバック

  1. すごく考えさせられる内容でした。
    どんなことでも、相手の意見を聞き入れつつ
    同じところを見て(相手のあげあしだけとっているのはある意味らくちん、でも意味がない)
    考えなければいけないんだなーって。
    そういう人でありたいなーって。そう思いました。

    1. そうですよね…。 誰か(国が、企業が、会社が…)が悪い、というのは、すごくカンタンで、環境問題って結局そこで止まって、不平を言っているだけで終わっている感もやはり、してしまう部分はあります…
      これから、人と人とが力を合わせなければ生きていけない時代に入るような気がしています(いままでよりは)。なので、その辺をどう過ごすかってことが、より大事になってくるし、なぜ戦争をするか、というところまで回避できるんじゃないかなぁ、と思ってるんですが…

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