朝までわのおどり  に行ってきた

みくさのみたから の
みたからのふるさと伊那で山合宿 朝までわのおどりhttps://www.facebook.com/profile.php?id=310569619392493
に行ってきました。


朝までわのおどり、というのは、

みくさのみたからのたまちのすべ(たなそえる、まことのる、ちのみちとおす)を行いながら、輪になって踊ることです。それを、夜中の3時頃から、朝6時頃まで踊ります。


私は日ごと心に浮かぶ方々にありがとう、とそっとつぶやくことがあります。

しかし、その中で一人だけ、最近亡くなった方の名前を申し上げると、なんともいえない心地がしてました。でも、そのままありがとう、と伝えていました。
なんだかこのわのおどりに、その亡くなった方を連れていく気がして、

着いたあと、その亡くなった方にこの わのおどりを見せたくて、来たんだな、とわのおどりの中心となる火を見て思いました。


最近、夏になってから、本当に何もしたくなくて、休んだり、休まなかったりしていました。何もしない! って、とっても心地よかったのですが、

「なにやってもうまくいかない これから私はどうしよう」

そんな思いが気づいたら心の中に居座っていました。(このわのおどりに参加して気づいた)

全力で踊り、全力で歌い、全力でたたいて、たくさん寝ているうちに(全力で踊れない人は、わの外で寝る)
いろいろ思いました

暗い空でも、実は明るい。


ただ、自分の思うように見てないだけで

あー、都市にいるとすべてが狂う!! もう家に帰りたくない!!…この景色をずっと見ていたい!


あんなに毎日毎日、自分の思う世界を広げてきたのに、

自然と向かいあうと、すごく曲がっていることに気づく…
「もっと作りたい、もっと面白いことがしたかった」というその方の無念の思いがあるのかも、と気づきました。私も「このまま作っていったら、未来のピカソになるような人だったのに…」とその方について、思っていました。
そして「生きてるままで価値がある」と心に浮かんだ言葉をとなえながら、踊りました。
そして終わって空を見上げたとき、

真っ白に平らかな心の自分がいました。
もうその方の名前をとなえても、

悪い感じが沸き起こりませんでした。
そして、私が思っていた、嫌な思い込みも、一緒に消えていることに気づきました。なんだ、あの人は私だった。
というのが、私の非常に個人的な話です。
どんなに愚かでも、今の自分からはじめるしかない。
踊るんじゃなくて「生きる」んだ。


こせこせと、ダンスにかかわる色んなところにいって、

表面だけの何かで戦っていたところに気づきました。

そうだったのか、と思いました。
みたからと出会って、もうすぐ2年。

最初は、本当に映画の「マトリックス」の赤い錠剤をのんだような衝撃がありました。ああ、人間は本当はもっと自由で。ただ「ある」ということで生きればよくて。そして素晴らしい生き物で。生まれる前の赤ちゃんが、どんなにこの世に期待を持ってくれているか。
しかし、そんな衝撃だけ伝えていると「宗教」と思われるのかもしれません。何かによって変わることは、本でもなんでもあるのかもしれないのに。
今はその頃に比べるとすごく静かな日々です。ただ、客観的に自分を見る目は育ってきているなあ、と感じています。それでもきっと私はどんどん間違うんだと思います。けれど、また自分の中に現れた、「大きな流れ」のことを考えて、いこうと思っています。

そんなみたからのすべをしることができる機会、8/26(土)にありますので、よろしかったらおいでください。

https://www.facebook.com/profile.php?id=1315132401917772

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中